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「平和の確立した地球を次世代に渡したい」脱北者・川崎栄子の人生をかけた夢と原動力

"沼すぎる夢" に本気で立ち向かう人々に探求の過程を伺い、その根源にある想いを紐解いていくシリーズ「 #この夢は沼すぎる 」。

第二弾は、脱北者で、北朝鮮の人権問題に立ち向かうNGO「モドゥモイジャ(KOA)」代表の川崎栄子さんをゲストに迎えます。

1959年から25年間、在日韓国・朝鮮人と日本人の妻など約9万3000人が北朝鮮に送られた「帰還事業」。差別も貧困もない「地上の楽園」は実在するのか──。社会主義国家のシステムに関心を抱き、みずからの意思で北朝鮮に渡った川崎さんは、その後43年間にわたり地獄のような生活を強いられたといいます。

一方、Gaudiyがビジョンに掲げる「ファン国家」は、国境を越えて人々が “好き” や “夢中” でつながれる民主的な社会です。Web3は、いまの格差を生み出しすぎる資本主義社会のシステムをアップデートする可能性を秘めています。

あたらしい民主主義としての「ファン国家」。その対極にある社会主義国家、北朝鮮。2003年に命をかけて脱北し、80歳を超える今なお「北朝鮮の民主化」に向けて尽力する川崎さんにお話を伺うことで、私たちは学びを得られるのではないか。

そのような考えから、Gaudiy CEO石川たっての願いで、今回の企画が実現しました。北朝鮮で目の当たりにした社会主義国家の現実、川崎さんを突き動かす根元にある想い、夢や目的を実現するための要点を伺います。


人生最後の目的は “平和の確立した地球” を次世代に渡すこと

───YouTubeの『街録ch』で川崎さん出演回を拝聴してから、ずっとお話してみたかったです。10代で北朝鮮に渡り、43年間の生活を経て脱北された後、北朝鮮の人権侵害を訴える活動を10年以上続けていらっしゃいますよね。その原動力はどこから来るのでしょうか。

在日コリアン2世として京都で生まれ育った私が北朝鮮に移ったのは、高校3年生のときでした。当時、在日コリアンを北朝鮮に送る運動があり、朝鮮総連が「北朝鮮は差別も貧困もない『地上の楽園』だ」と嘘の宣伝をして回っていたんです。

はじめは運動にすら参画していませんでしたが、「国民から税金を取らない社会主義国家がどのように成り立っているのか」という社会システムそのものに純粋な好奇心を抱いて、親にも相談せずに役所で申請手続きをしました。

───親にも相談せず、みずから。

そうです。私は、親や他の誰かから「行け」と命じられたわけでもなく、自分の意思で北朝鮮に足を踏み入れたわけです。その決断をしなければ、43年間、辛い経験や死ぬ思いをすることもなかった。身をもってそれを経験したからこそ、北朝鮮のような社会システムが世の中に存在すべきでないことを知らしめたいと思っています。

───川崎さんの最終的なゴールはどこですか。

私はもう、81歳です。人生に残された時間は多くありません。
だからこそ次の世代に、平和の確立した地球を引き渡したい。それが人生最後の目的です。

モドゥモイジャ代表・川崎栄子

そのために、まずは北朝鮮を法で裁く。私は法治国家である日本で生まれ育ちましたから、個人であれ団体であれ国家であれ、どんな強大な力をもった相手であっても罪を犯した者は法の裁きを受けねばならないと考えています。

北朝鮮にいる約2,500万の国民は、この21世紀になっても、自由とはなにか、尊厳とはなにかを知らずに生きています。その人々にも、すべての人には等しく基本的な人権があることを教え、その権利を享受させてあげたい。

だから北朝鮮のような国を無法状態で放っておくわけにはいかないんです。まずは北朝鮮を民主化し、韓半島を統一する。それが世界平和につながると信じています。

北朝鮮は “社会主義国家” の顔をした “独裁国家” だった

───ものすごく感銘を受けます。北朝鮮ではどのような生活でしたか。

日本人学生の多くは労働者として工場に送られましたが、朝鮮学校出身だった私は大学に進学することができました。

私は小さい頃から勉強が得意で、他の人よりも予習復習に時間をかける必要のない人間だったので、大学でも比較的自由な時間を過ごしましたね。授業を欠席しても単位を取得できる科目の時間には、ひとりで図書館に行って、ギリシア哲学から現代哲学まで一通り学びましたし、マルクス、エンゲルスらの社会主義論についても勉強しました。

───社会主義国家で生活しながら、社会主義論についても学ばれていたのですね。

そうです。社会主義国家のシステムに関心があったわけですから。

マルクスとエンゲルスは「平等な社会をつくる」という理想を、理論として体系化しました。それ自体は価値あるものですが、社会主義国家の土台にある「計画経済」は根本的に間違っていると私は結論づけました。

だから、1990年代になってソ連が崩壊したことも、私はまったく不思議だと思わなかった。計画経済の限界がきて、崩壊すべくして崩壊したんだ。そう思いましたね。

───一方で、北朝鮮はいまだに国家として存続していますよね。

私は金日成が死去したとき、「この国もこれを機に変わるんじゃないか」という淡い期待をかけました。でも、後継の金正日になり、事態はさらに深刻になりました。

なぜかというと、金日成時代にはかろうじて続いていた配給が、1994年に金正日政権になって全廃されたからです。人々は飢えに苦しみ、強盗や殺人などの犯罪も多発して、4年で約300万人(※)が餓死しました。

※編集注:国際的には約300万人と伝えられているが、内部にいた川崎さんの感覚では、500万人以上が餓死したという。

国家の状況がどんどん悪くなっていくのを横目に見ながら、あらゆる手段を使ってなんとか子供たちを養っていましたが、これは国の外に出て対策を立てなければと思いました。そうして脱北を決心してから、子供たちを全員結婚させて時期を見計らい、2003年に脱北しました。

脱北することは誰にも言いませんでした。公安に知られようものなら、残された子供もみな処刑されてしまいますから。北朝鮮では、うかつに言葉を発せられない状況でした。

結局、北朝鮮は、社会主義国家という思想を掲げた「独裁国家」だったんですよ。だから計画経済が崩壊しようとも、今日まで存続しているんです。

自由経済にあって計画経済にないもの

───独裁政権という政治システムの問題と、計画経済という経済システムの問題があると思いますが、「計画経済は間違っている」と結論づけた理由を詳しくお聞かせいただけますか。

計画経済では、役所の人間が翌年の計画を決めて、工場に生産させるわけです。すると、どういうことが起きるか。お店に行っても自分の買いたいものが何もないんですよ。数年は買い替えない男性向けのナイフが山のように残っている一方で、日常生活に必要なものが全然ない。

あるとき私が「なぜナイフはこんなにいっぱいあるの」と友人に聞いたら「去年計画を立てた人が数字を間違えたんじゃない」って平然と言うんです。北朝鮮ではそれが当たり前だから、疑問にすら思われていない。でも私はそうは思えなかった。おかしいと思いました。

これが計画経済の決定的な欠陥なんですよね。自由経済にも欠陥はあると思いますが、計画経済ほど極端な矛盾はないんじゃないか。今の時代であれば、もしかしたら人間ではなくAIに計算させて、もっとマシな数字が出るかもしれませんけどね。

───僕は以前から、社会主義はコンピューティングパワーが足りないがために成立しなかった、という仮説を持っています。歴史的にみると、社会主義には多くの失敗や欠陥がありましたが、他方で資本主義にも格差の助長や、お金にならないが社会にとって必要な職業に人が集まりづらくなる、といった問題があります。だから僕は「平等な社会を目指す」という社会主義のコンセプトには一部共感を覚える。でもそれを成り立たせるには、高い合理性と高い倫理観が必要ですし、人間に求めるのは難しいですよね。

つまるところ、社会主義や計画経済の問題は、独裁政治とつながりやすいことだと思います。やはりコントロールしやすいので、独裁者から好まれる。

自由経済は、市場が自然とバランスを取るから歪になりません。 そして富の一部は労働者に還元されます。一方の社会主義国家では、いくら功績を上げてもその恩恵が労働者に回ってこない。税金がないことを名目に、命をつなぐだけの配給だけが渡され、残りの富は国家に総取りされる。経済のバランスなんて取れるわけがありません。

今、北朝鮮の国民を生かしているのは、人々が生き永らえるために勝手に行動した "結果としての自由経済" です。それをもう一度締め付けたら、また大量の死が訪れますよ。だから自由経済は絶対に必要なものだと私は考えています。

北朝鮮を法で裁くまでの20年を支えた一つの想い

───2023年10月30日、東京高裁の二審判決では「原告たちは人生を奪われた」として北朝鮮政府の継続的な不法行為を認める判決が下りました。「北朝鮮を法で裁く」に至るまで、どのような道のりがありましたか。

2004年に日本に入り、最初にしたのは本を書くことでした。その原稿を東京の出版社に送った際に、脱北者のための活動をされている方にお声がけいただき、2006年に上京しました。

その事務所では、脱北者たちが資本主義社会の生活に適応するための教育をしていました。例えば、電車やバスの乗り方、病院の行き方などです。韓国には「ハナウォン」という脱北者向けの初期教育機関がありますが、日本には一切なかったので、みずから「リトルハナウォン」と名乗ってその役割を果たしました。

その団体で活動をしていた頃に、周囲の方々から「川崎さんの夢を実現するためには新しい団体を立ち上げたほうがいい」と独立を勧められて、2014年11月にNGO団体のモドゥモイジャを結成しました。

───モドゥモイジャを立ち上げ、すぐに裁判に持ち込めたのですか。

そう簡単にはいきませんでした。北朝鮮を相手に2回裁判を申し立てたことのある方からは、「裁判なんてやめなさい、それよりも川崎さんは本を書いた方がいい」と言われました。

それでも私は、北朝鮮を法で裁くことを絶対に諦めなかった。そうしたら、あるとき偶然に、国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表の土井香苗さんにお会いする機会を得ました。我々の活動や想いについてお伝えし、土井さんが私たちのために弁護団を組成してくださって、実際に動き出せたのはそこからです。

弁護団のサポートを受けながら、2015年に人権救済申立書の提出を行い、2018年にはハーグの国際刑事裁判所で北朝鮮を提訴するための書類を提出しました。

そして同年8月に、5人の脱北者が1人1億円ずつの損害賠償金をかけて、北朝鮮政府を被告とする損害賠償裁判に入りました。それが今も続いているものです。 

2022年3月の東京地裁の判決では、損害賠償金の訴えに対しては「棄却」の結論になりましたが、朝鮮総連が嘘の宣伝をして在日コリアンを北朝鮮に送った「勧誘」と、北朝鮮に渡った人たちが今日まで閉じ込められている「留置」のふたつに罪状を分け、前者については「有罪」だとはっきり認めていただきました。

そして2023年10月の東京高裁では、「勧誘と留置は継続的な不法行為であり、損害の管轄権は日本の裁判所にある」と全面的に認められたわけです。

───ついに北朝鮮を法で裁ける段階に来たんですね。困難な道でも、挫けず、川崎さんがやりきれたのはなぜですか。

私は、自分の家族に必ず生きて再会しないとダメだと思っていますから。脱北に成功したルートを使って、他の家族もみな脱北させようと思っていましたが、その計画が頓挫して今もまだ12人もの家族が北朝鮮に残っているんです。必ず生きて、彼らに再会したい。それは私の命をかけてでも、必ず実現させます。

ジタバタし続けることが “偶然” を “必然” に変える

───夢を実現する人とできない人の違いはなんだと思いますか。

結局、どれだけジタバタし続けられるか。それに尽きると思います。

私が脱北して中国にまだいたとき、父が倒れて入院したと聞きました。なんとしてでも生きているうちに会いたかったので、領事館に駆け込んで臨時パスポートを発行し、キャンセル待ちの航空券を取って、タクシーを乗り継ぎ、出発10分前に日本行きの飛行機に滑り込みました。

関空到着後すぐに父のいる病院に向かい、私の顔をみた父がとても驚いていましたよ。その再会から4日後に、父は亡くなりました。飛行機を1本逃していたら間に合っていなかった。生きているうちに会えたのと、亡くなってから会いに行ったのでは次元が違うので、父の娘として最低限のことはできたかなと思います。

───奇跡的な再会だったんですね。

奇跡的な偶然の重なりではありましたが、必然とも言えますね。それくらい私がジタバタした結果だと思います。

───ありがとうございます。最後に、川崎さんが思う「夢」とはなにか、教えてください。

私にとって、夢とは「目的」であり、それぞれの人が目指すものだと思います。

私が日本代表を務める、韓半島の平和的な統一を目指す団体「AKU(アクション・フォー・コリア・ユナイテッド)」の理念に、「弘益人間」という言葉があります。「広(弘)く社会に利益を与える人であれ」という意味です。

その基礎には「ひとりで見る夢はただの夢にすぎないが、すべての人が同じ夢を見ればその夢は実現する」という思想があります。これは、かつてモンゴル民族の統一を果たしたチンギス・ハンの言葉だと聞いています。

───すごくいい言葉ですね。

普通は80歳も過ぎれば、北朝鮮が今日も変わらないことに「仕方ないや」と諦めるのかもしれません。でも、私はそうは思えない。私というひとりの人間が日本へ帰ってこられた裏には、その数十倍もの犠牲者がいます。国境警備隊に銃で撃たれた人、川を渡るときに流されて亡くなった人。私はそういう人たちの思いも背負って生きています。

だから私は、地球規模の平和のために、北朝鮮で生きる家族に会うために、最後の瞬間までジタバタし続けます。一生懸命やっていれば、必ず一緒に夢を見てくれる人がいますから。

それぞれの人がそれぞれの夢を見て、その実現のためにジタバタし続ける。それが人生ではないでしょうか。(了)

取材:石川裕也、文・編集:山本花香、撮影:@Tommy

取材後記:Gaudiy CEO 石川

川崎さんを初めて知ったのは、夜中に仕事から帰ってきて、疲れてベッドに倒れ込み、眠りにつく直前に何気なくに見た『街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜』というYouTubeでのインタビューがきっかけです。

その時、疲れているのにも関わらず、その衝撃で朝まで眠れなかったのを今でも覚えています。聞く方ですら耳をふさぎたくなるような大変なご経験を語られている姿に、画面越しからも、ものすごい知性と熱量を感じました。

「この人にぜひ一度お会いしてみたい」という思いから後日ご連絡したところ、ご快諾いただき、今回の貴重な機会をいただきました。

ここでは書ききれないほどの学びや刺激をいただきましたが、81歳にも関わらず、こんなにも知的でパワフルな人がいるのか?! まだ20代の僕がこんなもんでいいのか? そう思わせられました。

僕が創業したGaudiyという会社は、「ファン国家」という、国や人種、年齢問わず、すべての人々が "好き" や "夢中" で生活できるような社会の実現を目指しています。その対極にある北朝鮮という国での実体験や現状を聞くことで、ビジョンへの解像度が数段階上がりました。そして一層、「ファン国家」の実現が今の社会に必要だと、そう確信しました

改めて川崎さんには、今回の貴重な機会をいただいたことに、この場で感謝申し上げます。川崎さんに負けないよう、恥じないような情熱で、僕の夢を仲間たちと共に実現していきます。(Gaudiy CEO 石川)


おわりに:
Gaudiyでは「ファン国家」の実現をともに目指す仲間を募集しています。興味を持っていただいた方は、ぜひ下記サイトをご覧ください。

MORE INFO
- 会社説明スライド:https://speakerdeck.com/gaudiy/culture-deck
- カジュアル面談ページ:https://recruit.gaudiy.com/casualtalk
- 公式Twitter:https://twitter.com/gaudiy_jp